試合に出るという責任

せいこうブログ

2026/10/17 19:18

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3年 中木冴人(グランザ下松fc)

今回、聖光ブログを担当させていただく、3年の中木冴人です。私がサッカーを始めたきっかけは、小学2年生の時にグラウンドでサッカーをしている人たちをフェンスにしがみつきながら見ていたところ、お母さんに「体験してみる?」と言われたことです。
私は小学生の頃、すごくサッカーに夢中でした。周りの人たちがゲームなどをしていても、私は学校へ行き、暗くなるまでボールを蹴っていました。その成果もあり、クラブチームではキャプテンを任され、チームをまとめる大変さや責任感を知ることができました。
小学6年生の時にはバルサキャンプに行かせてもらい、周りの人たちの技術や指導者の的確な指示にすごく圧倒されました。その中でも成長しようと、ノートを取ったり、指導者に話を聞きに行ったりしました。その結果、最終日の試合ではいいプレーをすることができ、自分の成長を感じました。このような経験をさせてもらえたことに、親にはすごく感謝しています。
しかし、中学生になる前に、私はサッカーを辞めて違うスポーツに挑戦するかどうか、すごく迷っていました。そのことをお母さんに話すと、辞めることを否定されることはありませんでしたが、「やるなら最後まで頑張れ」と背中を押され、サッカーを続けることを決めました。
中学生ではクラブチームに入りました。初めはボールの大きさやコートの広さなどが変わり、みんなの足を引っ張ってばかりでした。そこで私はまず、試合中に歩くことを減らし、とにかく走り続けることを意識して頑張ってきました。
2年生の時には、周りの選手が上の学年の試合に出ている中、私は試合に絡むことができず、悔しい思いをしました。しかし、3年生になって副キャプテンを任され、チームを引っ張れるように頑張りました。

そして、高校では聖光高校を選びました。正直、人数の多さに驚き、この中で試合に出るのは無理だと思っていました。実際に1年生の時は、ルーキーリーグの試合に出ることはほとんどありませんでした。
中学生の時に同じチームだった人たちは試合に出て活躍しているのに、自分は試合に出られず、ボールボーイをしていました。その時、初めて試合に出られない悔しさを経験しました。
中学生の頃と比べて、高校サッカーはスピード感が違い、今まで何となくサッカーをしてきた自分は何もできませんでした。今までどれだけ考えずにサッカーをしてきたかを痛感しました。その中でも、私は毎日朝練に行き、努力を続けました。毎日帰る時間が遅いのに、朝も早く起きてお弁当を作ってくれたお母さんには感謝しかありません。
そして2年生になって、私は徐々に試合に出ることが多くなりました。試合に出られることはすごく嬉しく、頑張ってきて良かったと思いました。しかし、トップチームに呼ばれ、試合に出ることになった時は、自分でも想定外のことで、胸のドキドキが止まりませんでした。失敗したらダメだと思いながらも、自分にできることを全力で行ってきました。一つ下の学年として試合に出ることには大きな責任を感じましたが、公式戦に何試合も出場し、たくさんの経験をさせてもらいました。

その中で一番印象に残っている試合は、冬の選手権です。私は途中から試合に出ることが多くなると思っていました。しかし、当時、私と同じポジションで試合に出ていたキャプテンが、大会前に試合に出られない状態になってしまい、代わりに私が試合に出ることになりました。
そのキャプテンとは中学生の時も同じクラブチームで、当時から試合を見ていて、ずっと憧れを持っていました。そんな人の代わりに試合に出ることになり、自分にできるのかという心配や不安が、今までにないくらいありました。しかし、もうやるしかないと思い、そのキャプテンの分まで全力で戦いました。
そして3年生となった今、新人戦、インターハイともに3位という結果で終わっています。この選手権では優勝して全国大会に出場するために、頑張っていきます。
この3年間は、時が経つのが本当に早く感じました。毎日お弁当を作ってくれたり、送り迎えをしてくれたり、たくさんのことで自分を支えてくれたお母さんには、すごく感謝しています。本当にありがとう。
そして、私は一つお母さんに謝りたいことがあります。小学生の時、毎回試合を見に来てくれていたのに、自分がアドバイスされるのが嫌で、「見に来てほしくない」と言ってしまったことを今でも後悔しています。ごめんなさい。
お母さんに自分の成長した姿を見てもらうためにも、この選手権で全力を尽くします。この11年間の集大成となる最後の大会、悔いのないように戦います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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