あの日から12年

せいこうブログ

2026/09/26 17:30

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3年 野村来翔(浅江中)

 

私がサッカーを始めたのは、小学2年生の頃でした。幼い頃の私は、人見知りで恥ずかしがり屋、そして泣き虫な性格でした。そのため、集団の中でスポーツをすることに不安や心配があり、一度サッカーを辞めた経験があります。それでも、「もう一度挑戦してみよう」という思いから、再びサッカーを始めました。そして気がつけば、今日までサッカーを続けてくることができました。

聖光高校サッカー部は、県内でも強豪校として知られ、他の中学校やクラブからも上手な選手が集まるため、厳しいレギュラー争いになることは覚悟していました。それでも、監督から声をかけていただいたことや、全国大会に出場したいという思いから、入学を決意しました。

しかし、実際の高校生活は、自分が思い描いていた理想とはかけ離れていました。ルーキーリーグでは初戦にスタメンで出場したものの、その後は徐々にプレーする時間が少なくなり、自分が思うような結果を残すことができませんでした。小学・中学とレギュラーとして試合に出させてもらっていた自分にとって、試合に出られない悔しさは初めて味わうものでした。同時に、試合に出場できることが決して当たり前ではないということにも気づかされました。

「このままでは、2年後もスタンドから応援しているだけになってしまう。」

そう思った私は、練習後の自主練習や朝の筋力トレーニングにも取り組みました。その結果、2年生になると、2部リーグのレギュラーとして出場する機会を増やしていただきました。残留をかけた試合では、責任を持ってプレーすること、チームの勝利を最優先に考えること、そして何より、サッカーを楽しむことの大切さを学びました。この経験は、今の自分をつくってくれた大きな財産です。

また、一つ上の学年の新人戦と選手権のメンバーにも選ばれました。しかし、メンバーに選ばれたものの、試合に出場することは一度もありませんでした。

そんな中、同じ学年で、同じスポ少からサッカーを始めた仲間が、大舞台や1部リーグでプレーしている姿を目の前で見ました。嬉しい気持ちがある一方で、自分との距離を感じ、悔しさや焦りを覚えました。「自分だけ」と思ってしまい、不安や悲しさに押しつぶされそうになる時期もありました。

そんな私を支えてくれたのが、家族という大きな存在でした。

「サッカーが全てではない。高校生活が楽しかったらいい。」

簡単な言葉かもしれません。しかし、当時の私にとって、この言葉はとても深く、何度も心を救ってくれました。私はプライドが高く、何事も完璧にしたいと思ってしまう性格です。そんな自分に対して、家族は何度も立ち止まって自分自身を見つめ直すきっかけを与えてくれました。

この日々の気持ちの面での支えに加えて、小学2年生から約12年間、練習や試合の送迎をしてくれたり、帰宅すれば当たり前のように食卓に夕食が並んでいたり、振り返れば、家族に支えてもらってきたことばかりです。

当たり前だと思っていた毎日も、決して当たり前ではなかったのだと、今になって強く感じています。12年間、いつもそばで支えてくれた家族には、感謝してもしきれません。

 

本当にありがとう。

 

聖光高校サッカー部で過ごした日々は、私の一生において大切な宝物です。

きついトレーニングの時には、みんなで声を掛け合い、苦しい試合では互いに励まし合いました。そして、試合に勝った時には、みんなで心の底から喜びました。

部活動が終わった後の何気ない会話や、帰り道での笑い声、バスの中でくだらない話をして笑い合った時間。今まで当たり前だった日常が、もうすぐ終わってしまうと思うと、寂しさや悲しさが込み上げてきます。

小学2年生の頃、泣き虫で人見知りだった12年前の自分には、こんなにも多くの仲間と出会い、悔しさや喜びを経験し、心も体も成長した今の自分は想像できませんでした。

このかけがえのない日々が少しでも長く続くよう、これまで私のサッカー人生に関わってくださった家族、小・中・高の監督やコーチ、そして共に戦ってきた仲間、全ての人への感謝を忘れず、自分にできることを全力で頑張ります。

そして、12年間のサッカー人生を振り返ったときに、「やり切った」と胸を張って言えるよう、悔いのない青春を、この仲間たちと作り上げます。

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